ワーキングマザー生活10年を(割と赤裸々に)振り返る

 kobeni

「第一子を出産されて、今年でちょうど10年ですよね。この10年を振り返る記事を書きませんか」と、「りっすん」さんに言われるまで、私は一切気がついていませんでした。そうか……もう10年も、働くママやってるんだ。

最近は働くママとしてというより、ただのオタクとしての情報しかブログで発信していなかったので、本当に忘れていたのです。そもそも私は、「女性がもっと働きやすい世の中になってほしい」という願いを込めて、ブログを始めたのでした。なんて……意識が高いんだ……。

でもブログやTwitterでいろいろと発信しながら、実はリアルタイムでは言ってなかったことが、いろいろとあるような気がしました。子どもたちも大きくなって、今の私は「働くママ」としては、もうあんまり悩んでいません。せっかく機会をいただいたので、ざっくり10年を振り返りながら、印象に残ったことを今の言葉で語ってみたいと思います。

「会社はあなたのプライベートなんか、知ったこっちゃない」

私が最初に出産をしたのは2008年です。会社にはあまりお母さんの社員がおらず、というかそもそも、先輩自体があまりいませんでした。私が新卒で入社した2001年頃は、就職超氷河期の底みたいなときだったので、すぐ上の先輩や、すぐ下の後輩は、とても人数が少なかったのでした。

前に在籍していた部署は、私の育休中に会社都合で解散してしまいました。戻るところがなくなった私は、復職時に現場の制作職から、総務的な部署に配属となりました。復職前、男性が多く活躍している現場で彼らと同じ内容の仕事をしていたのに、復帰したら突然、その人たちのサポートをする(と私は感じていた)立場になったのです。

いくら子育てが大変だといっても、十分な話し合いもなく、これはないんじゃない? と思いました。私はその「やりきれない」という気持ちを、同じ部署に2年ほど早く配属されていた先輩ワーキングマザーに愚痴ってばかりいました。

そのとき、彼女に言われたのが、

「会社はあなたのプライベートなんか知ったこっちゃないんだよ。だから、私たちは、自分から『私は(ママだけど)これができます』と、アピールしていかなきゃいけないんだよ」という言葉でした。

私は正直、これにあまり納得できませんでした。いや、言ってることは間違ってない気もするけど。でも、仮に「会社」が人だとしたら、会社さん、なぜそんな偉そうなの……。私、これまで何年も、合コンにも行かず、ときには床で寝て会社さんのために働いてきたのに。私の人生における一大事=親になったこと、に対して「知ったこっちゃない」って、どういうことなの。

今思えば先輩も、私と同じくらい、やりきれなさを抱えていたんだと思います。

「母親だから」を理由にされるやりきれなさ

そんなある日、2人でランチをしていたら、先輩が言いました。

「誰かが見ていてくれて、(「復帰したらここの部署においで」って)声掛けてくれると思ったでしょう。ないんだよ。ビックリするぐらいないよね、そういうの」

そう、当時の私の会社は、「女性社員が子どもを産んだら、どんな人も自動的にこの辺の部署に置く」という、言ってみれば「機械的」な対応しかしていなかったのです。

この頃から、「母親が、育児を理由に思うように働けないのは、理不尽だ。差別ではないか」と思うようになりました。けれど2008年頃、Twitterで語気荒くこういったツイートをして、私は若干炎上していたように思います。「あなたが自分で子どもを産むことを選んだのだ。女性は関係ない。自己責任だ」という反応も、同じ女性からよく来ました。

しかし、私が女性で、母親で、結果的にはその属性を原因に、自分の希望する働き方や職種などを奪われた場合、それは本当に「私の選択だ」と言い切れるのでしょうか? 「女性は、結婚や出産をしたら退職する。あるいは仕事を大きく退くものだ」という価値観を前提としたシステムの中で、私のような価値観を持った人間のための選択肢がなく、最初から選べないようになっているだけじゃないのか?

今でこそ、「誰かの強い悪意があるわけじゃない。会社は、ビジネスを理由に合理的な仕組みで動いているだけだ」と思うことができます。でも当時の私は、私や先輩が「機械的に」扱われることで生まれるつらさに、どうしても我慢ができなかったのでした。

そんなとき、『迷走する両立支援』(太郎次郎社エディタス)という本に出会いました。そこには、当時の私と同じようなつらさを感じている人たちの丁寧なルポと、筆者からの強いメッセージが書いてありました。

自分が培ってきた能力を発揮し、生活とよべるだけの経済的基盤をもち、子どもや家族との暮らしの喜びを実感する。そんなあたりまえのことに、なぜ支援が必要な社会になってしまったのだろうか。


萩原久美子『迷走する両立支援』太郎次郎社エディタス, 2006年, pp.8-9

私はこの本から、「あなたのせいじゃない」というメッセージを受け取りました。その言葉があったことで、じゃあ理想はどうであるべきなんだろう。何がネックになっているんだろう。と、視野を広げて考えるようになりました。

内容もやる気も、なにもかも7割ぐらい

そこからは、現部署の課長や、別部署の先輩、独身の同期、果ては社長まで、いろいろな人と話をしました。そのとき思ったのは、会社(のシステム)は、「良かれと思って」私に、新しい仕事をあてがっている、ということでした。

もちろん、保育園のお迎えもあるし、労働時間が圧倒的に減るわけなので、これまでと同じようには働けません。それでも、私には「(復帰したら)こう働きたい」という意志が少なからずありました。そういう話をしても、今ひとつピンと来てない上長もいましたし、今同じことを言われたら、絶対コンプライアンス的にアウトだなという発言も受けましたが、そういう提言を自分から行い、私は元の職種に戻ることができました。

とはいえ、長男が1〜3歳頃の私は、いつも「7割」で仕事していたように思います。能力的にも、スタンス的にも。

「やらなくてはならない」仕事をこなすのに精いっぱいで、何かに大きくチャレンジをする余裕はありませんでした。長男は割と病気がちでしたし、胃腸炎やインフルエンザなどで、会社を1週間休むということもザラでした。課長に「リモート勤務ができれば……」と申し出たこともありましたが、「ハッ」とリアルに鼻で笑われたものでした。

なんとなく7割、の不完全燃焼感にも、だんだん慣れてきます。どうもやりがいが……と物足りないと思う気分は、ブログや同人誌、会社外の活動で埋めてみたりもしました。(そちらは、〆切をかなり長めに取ることができます。子どもの体調次第で、明日の予定も見えづらい身としては、そういったことがとても助かるのです)

7割に慣れて良かったのだろうか? と、今でもよく思います。ただ、当時は夫も遅くまで働かざるを得ないほど忙しい頃でしたし、初めての子育ては新鮮な驚きもたくさんありました。結果的には、7割ぐらいで良かったのかな。と今は思っています。

母が倒れ、父も倒れる

二人分の保育園の園便り。保育士さんがいつもたくさん様子を伝えてくれて、楽しみに読んでいました


7割とはいえ、好きな仕事と育児と趣味と……と「良いバランスかも」と思えてきた頃、2人目を妊娠しました。しかし、同じ年の秋、突然私の母の病気が悪化しました。

両親は地方に住んでいましたが、一人っ子である私の出産を機に、東京に越してきていました。しばらくは父にお迎えを頼んだり、母に夜ご飯を作ってもらったり、たくさん助けてもらっていました。そう、私は実は「実家カード」というやつを持ったワーキングマザー……になるはずだったのです。しかし越してきてから発覚した母の病気と、その急激な悪化によって、助けてもらうどころか私が彼らを助けなければならなくなりました。

思い出すのもつらいので、ちょっと足早に書きますが、一気に症状が悪くなった母が入院、治療に限界がきて在宅介護、父が速攻で介護生活に音を上げ、私が介護休職(妊婦なのに!)、また入院、長い「余命●ヶ月」、ついに看取り、お葬式……。

で、やっと落ち着いたら今度は自分の出産です。しかも、この、母の看取りを機に父の調子がおかしくなってしまいました。約1年後、次男の育休から復職する頃に、今度は父が入院してしまいました。

このあたりは本当につらかったです。父に引っ張られて私もおかしくなってしまい、ある日天井が回転するような感覚を覚えながら倒れ、しばらく傷病で休職しました。

考えてみればこの10年で、育児・介護・看護・傷病など、あらゆる制度を使って休んでは働き、を繰り返してきました。

こうした経験から学んだことは、「家族という仕組みは非常に脆い」ということです。トラブルもあまり予測できないし、代替も効きません。私の場合は、育児や介護の休業以外に、各種病院の先生やソーシャルワーカーさん、地域包括支援センターの方々にお世話になりました。会社は休職や復職の際に、上長や産業医の面談によるスムーズな復職を助けてくれました。家族だけでは解決できないことを、官民両方のサポートを経て、やっと乗り越えられたのです。

私たちは、オンとオフ両方の顔を持つ、生身の人間です。「職場に私情を持ち込まない」という考え方は、もうそろそろ改めた方がいいと思う。どんなに隠しても、同じひとりの人間である限り、公私はそれぞれに影響を及ぼします。

特に、直属の上長(一般的には「課長」になると思います)には、こういったライフイベントの変化に関する知識と、マネジメントで対応できる能力、そして可能であれば、寄り添って話を聴ける人間力があると、従業員が安易に心折れることなく、長く働き続けていく助力になるのではないか、と思います。

夫、会社を辞める

その後、父は長い長ーい入院生活を経て無事に回復し、長男とは5つ離れて生まれた次男もスクスク育ち、2年、3年と経ちました。2015年ぐらいからでしょうか、世の中が「共働きでも働きやすく」「長時間労働にNO」「リモートや在宅勤務を推奨しよう」といった風潮になってきました。私にとっては、追い風とも言えます。

あの頃、鼻で笑われたリモート勤務が会社にも徐々に浸透し、「マタハラ」「多様性」などの言葉も、ちょっと私が驚くほどになじみあるものになってきました。女性が育休明けに復職する率も高まってきているらしく、「働きたいなんてワガママ」「子どもを産んだお前の自己責任」と言われていたのが嘘のようです。

そんな中で、夫が会社を辞めました。

元々フリーランスになりたいと考えていた夫です。会社を辞めて、自宅にいることも増えました。多くの家事・育児の時間を、夫が担うようになりました。

ちょっと言いにくいことですが、「あれ、仕事と育児の両立がラクになったな……」と感じた理由として、夫がフリーランスになったことはとても大きかったです。世の中や会社が変わったことよりも、夫のライフスタイルが変わったインパクトが、わが家では圧倒的に大きかった。これは包み隠さず書いておいた方がいいかなと思いました。

試行錯誤で今の夫婦の形に

思えばこの10年、「夫が夜遅くまで働く、私の両親がお迎えとご飯。私がお風呂と寝かしつけ」とか、「私がお迎え以降を担当。夫は週に 1度」とか、「夫が週3、私が週2でお迎え」など、とにかくいろいろな両立スタイルを試してきました。最近は、フリーランスで収入が安定しない夫が家事育児を多めに、会社員の私はしっかり稼ぐ、時間もこれまでより少し仕事を多めで、みたいな形に落ち着いています。とはいえ私はこの10年で、体力的にも精神的にも、時短勤務じゃないとムリな人になってしまいました。今も、残業は極力しないようにしています。


夫が仕事に力を入れたくなるときも来るだろうし、私が会社を辞めたくなるときも来るだろうし。これからも我々夫婦の在り方は、その時々で変わっていくんだろうなと思います。

これは2015年頃の写真。仲良くケンカしな♪ という感じの二人

未来の話。「時間ではなく成果で」評価される時代が本格的に来たら?

世の中には「たくさん働けば残業代がもらえる」とか、「昇進するためには実質、かなり残業しないと無理」という会社も、まだまだ多いと思います。でももし、「少ない労働時間で高い成果を出すと高評価」な企業ばかりになったら、世の中はどう変わるんでしょうか?

2016年秋頃、NHKで「マミートラック」を扱う番組が放映されていました。

「マミートラック」とは、子育てを理由に昇進に縁がないキャリアコースとなる、責任や負荷の低い仕事に限定される……といった状況が、陸上のトラックを走るようにぐるぐると続いてしまう状態を指します。

SNSの感想を見ると、「残業できないのに昇進して稼ぎたいなんて、ワガママだ」といったコメントもありました。ああ、久しぶりに見た、この「働く母はワガママ」という言葉。けれど私の理解では、その番組に出てきたお母さんは「私は残業できないけど昇進して稼ぎたいんです」とは言っていませんでした。

かつての私が望んだように、「自分の、これまでのキャリアを活かせる職種で、部署で、子どもを持ったあともまだまだ成長していきたい」と言っているだけなのです。

もし、ここに、「時間ではなく成果で評価」ができ、「急な病欠など家庭の事情にも対応できる」企業が名乗り出たら? そこで働くお母さんが、時短勤務をしながらでも、高い成果を出すことができたら? そんな成果を買われて彼女が「昇進した」としても、まだ、「働く母はワガママ」でしょうか……?

仕事と育児の両立の焦点は「ケア(配慮)」から「(ケアだけでなく)フェア(機会均等)」へと、大きくシフトしていってほしいと、私は思っています。

「どう子育てし、どう働きたいか」は、一人一人違う

ここまで振り返ってきたのは私の10年ですが、同じ10年でも、まったく別の過ごし方をしてきたワーキングマザーも、たくさんいると思います。

特に「子どものために、どのくらいの時間・パワー・その他もろもろを注ぎたいか」は、これまでたくさんのお母さんお父さんに会ってきましたが、本当に人それぞれ・夫婦それぞれだなあと思います。同じ保育園に通わせていても、「早く帰って家族全員そろって自宅で夕食を食べたい」親も「延長保育を使ってギリギリまで働きたい」親もいます。子どもを幼稚園に通わせたいから、在宅勤務を選ぶ親もいます。子どもが小学校に上がるタイミングで復職を考えている親もいるし、仕事を辞めるつもりの親だっているのです。こういった微妙な差異を、怖がらないで認め合う勇気が大事です。

もしあなたがこれから「親になる」としても、会社で目の前に座っている先輩と、まったく同じ親になる必要はないです。あの人のようにできないと思ったら、その人が掻き分けて作った道の、ちょっと横に脇道みたいなものを作って、そろりそろりと歩いても別に良い。「私は、『ほんとうは』こういう風に生きたい」という気持ちをないがしろにせず、できるだけ心の声に耳を傾ける。夫や上司など、自分の周囲の人に、その気持ちについて粘り強く話す。そうやって、自分が一番心地よいと思う「仕事と育児」のバランス、自分のスタイルをつくっていけば良いのだと思います。

10年を振り返ってみると、スピードは必ずしも早くはないものの、世の中は確実に、良い方向に向かっているんだと感じています。あの頃は、そんな未来があるとは思えていなかったなあ。いい10年になって、本当に良かった。まだ道半ばな気もしますが、次の世代のために、これからもぼちぼちやっていきます。いっしょに、ぼちぼち、がんばりましょう。

著者:kobeni

kobeni

会社員兼ブロガー。仕事は広告やwebの制作職です。「kobeniの日記」にて、仕事と育児の両立などをテーマに文章を書いています。

次回の更新は、2018年3月14日(水)の予定です。

編集/はてな編集部