アフリカで感じた「人」

by 福島黎

中央アジア地域専攻、2019年度入学

1. はじめに

この1年間は今までの人生で最も自分と向き合い、社会と向き合い、さまざまなことを考えた1年間だった。なにも昔から社会問題に対する意識が強く関心を持って生きてきたわけではなく、むしろ留学に行く前は部活と飲み会を繰り返す大学生活であった。

そんな僕でもルワンダのプロテスタント人文・社会科学大学(写真1; 以下PIASS)の同級生と1年間過ごす中で少しずつ自分の中で変化を感じることができたのだから、本当に意義のある時間であったと感じている。

今回はそんな1年間を改めて振り返り、この文章がアフリカ留学を考える後輩の一助になればと思う。なお、PIASSに関してはすでにたくさんの先輩が書いてくださっているので(注;僕自身も参考にした。僕のルワンダ滞在期間――2021年9月~2022年8月―時点では、コロナの影響はほぼ感じられなかったのでコロナ以前の先輩方の記事を参考にしてよいと思う)、今回は僕がアフリカで感じたことを書いていこうと思う。

写真1: 留学先のプロテスタント人文・社会科学大学(PIASS)。

2. アフリカで感じた「人」

1年間のルワンダ留学を終えて東京の実家に帰ってきた時、何を一番寂しく思うか、と聞かれた時に真っ先に思い浮かんだのは、ルワンダ、そして旅先のアフリカ諸国で触れあった「人」だった。

ありがたいことにアフリカ各国、特に留学先のPIASSでは、良い友人に恵まれ、楽しい時間を共に過ごすことが出来ただけではなく、さまざまなことを学ぶことが出来た。今回は1年間の留学生活で感じることが出来た「人」について、実際に起こった出来事をベースに書いていこうと思う。

3. 驚いた「利他的思考」

ルワンダに到着してからの一番の問題点は住む家がなかったことだった。最初の一ヶ月ほどは受け入れ先の教員である佐々木和之先生の家に住まわせていただいていたが、ずっとそこにいるわけにもいかなかったので、一人暮らしをするために家探しが始まった。

当時はまだ大学の授業も始まっておらず、知り合いもほとんどいなかったため、家を探すというのはとても大変なことであった。そのときには、以前PIASSから外大に交換留学生としてきていたために面識のあった友達が、自分の家の近くが空いているからと、大家さんと交渉してくれて無事に住む家を見つけることが出来た。

次に生じた問題は、その家には備え付けの家具が何もなかったということであった。僕の住んでいたルワンダ南部のフイエという街では、ベッドや机などの大型の家具は既製品を買うのではなく、オーダーメイドで作ってもらうのが主流のようであった。そうなるとルワンダ語が話せなかった当時の自分は値段などの交渉ができず、どこのお店に頼むのが良いのか、どうやって支払うか、などわからないことだらけであった。

そこで、僕は家を紹介してくれた友達にどうすればよいかを聞いた。「The日本人的感覚」でいた僕は、「おすすめのお店と相場を聞けばいいな」と思っていた。しかし、その友達がとった行動は僕の想像を超えるものであった。まずは街にある家具屋さんを片っ端から交渉し、品質、値段、納品日などを確認してくれた。

この時点で相当な時間を割いてくれていたのにもかかわらず、その後も工場へ受け取りにいくときに運ぶのを手伝ってくれたり、組み立てるときにも友達の兄妹総出で手伝ってくれた(写真2)。今振り返ってみると、1から10までほとんど手伝ってもらった(ほぼやってもらった)。

だからといってお礼に何かを求められるわけでもなく、ただ単に友達として手伝ってくれたのである。僕は彼のしてくれたことを自分に当てはめて考えた時、「そこまでのことはしないし、出来ないだろうな」と感じ、「自分以外の人間のために行動すること」のすごさを改めて感じることが出来た。

写真2: ベッドの強度チェックをしてくれている様子

4.「めんどくさい」人間関係


基本的には優しい人が多く、人間関係の問題などは生じなかった。しかし、1点だけ、「めんどくさいな」と感じたのは、「招待」に関してだった。「招待」などと大げさな言葉を使うと結婚式などのフォーマルなイベントを想像するかもしれないが、ここでは飲みや誕生日会など、ごく普通のイベントへの声かけを意味する。


例えば、僕と友人で飲みにいこう、という話になり、「じゃあせっかくだから他の人も誘う?」となったとする。日本での生活で培った今までの感覚では、互いの共通の知人に声をかけて参加できる人が集まる、という感じが普通であった。しかし、ルワンダでは「誰から招待されたか」、もっと言うと「主催者から誘われたかどうか」がものすごく重要らしく、この場合だと僕が直接声をかけないといけない、ということらしかった。


これくらいなら連絡するだけなので何でもないが、もっとややこしくなると、誰かの誕生日会を開くことになり、他の人に「一緒に行こうよ!」といっても「主催者から言われてないから行かない」と、端から見たらふてくされたような態度をとられたこともあった。なぜなのかちゃんとした理由まではわからなかったが、おもてなしする側の熱量などもすごいことから、「招待される」ことがかなり重要視されているんだなあ、と感じた。

写真3: 大学の同級生とのピクニックにて

5.とにかくすごい「おもてなし」

そのほかに、自分の今まで生きてきた常識と違うな、と感じたことは「おもてなし」のすごさである。これを一番強く感じたのは、親友とルワンダの隣国であるウガンダへ旅行に行ったときのエピソードである。

ウガンダ各地にある親戚の家に無料で泊めさせてくれたことはもちろん、すごい量の夜ご飯をごちそうになったり、深夜4時頃であったにもかかわらず、家から40分ほど離れたバス停まで迎えに来てくれたりなど、「とにかくすべてやってくれた」というのが印象深い。

このとき、あまりにも色々やってくれてどうしてなのか疑問に思ったので、友達の兄(家の持ち主だった)になぜにそこまで、言うなれば他人にしてくれるのか、聞いてみたことがあった。そのときに言われて印象深かったのが「弟(実の家族)の友達だったら家族だよ」というものであった(写真4)。

日本では友達はあくまでも友達であり、家族といえるほどの深い関係まではならないと思う。この考え方のもとはどこからきているのかを考えた時に、友達の言っていた、「こっちでは隣人、町の人みんなで子育てをするんだよ」ということばを思い出した。

小さい頃から、色々な家を勝手に訪問(?)し、夜には帰ってきている、ということが友人の生まれ育った地域では普通のことらしい。そのような環境で育つからこそ、このような考え方になるんだな、と腑に落ちたことを思い出した。

写真4: 親友と家族、親戚と@ウガンダ

6. 現地語を覚えることの重要性

この話は今回のテーマである「人」からは少しずれてしまうかもしれないが、1年を通じて強く感じたことでもあったので書こうと思う。その土地固有の言語がある地域で、現地語を話すことは、最も簡単に現地の人々との距離を縮めることができる手段のひとつだと思う。


実際に、キニヤルワンダ語を少し話すことが出来るようになってからは、マーケットでの買い物やタクシーの運転手さんなどと親しくなることが出来た。海外の人が日本語を頑張って話しているときにいやな気持ちがしないのと同じことが起きていたのだと考える。


現地語を話せることのメリットはそれだけにとどまらない。例えば、現地語で話すことで情報を得られやすくなったり、法外な値段をふっかけられたりすることもなくなる。特にローカルマーケットのような、定価の記載のない場所で買い物をする際には現地語を話すことが必須だったように思える。


また、現地語を学習する過程で、友達との仲をさらに深めることが出来たり、現地語の表現を通じて、その土地特有の文化、考え方を学べたりする(写真5)。このように、現地語を学ぶということは、生活面だけでなく、人間関係構築などの面でも最重要であると感じた。

写真5: ルワンダの伝統工芸品・イミゴンゴをルワンダ人の方々に教えてもらって作成

7.おわりに

ここまで僕が1年間の留学・アフリカ生活を通じて出会い、感じた「人」について書いてきた。これから留学をしようかどうか、迷っている人には是非留学することをおすすめしたい。その理由としては、実際に現地で語学や専門分野を学べることに加え、たくさんの出会いがあるからである。


これはなにも、「現地の人々」との出会い(僕の場合で言えば、ルワンダ人を含めたアフリカの人々)に限った話ではなく、日本人はもちろん、思わぬところでたくさんの人と出会うきっかけとなり、あなたと「人」をつなぐ、唯一無二の経験となるのである。


僕の場合では、旅先で会ったヨーロッパからの観光客、リゾート地で働いていた日本人、帰国後出会った海外大学からTUFSへの留学生、奨学生として参加した奨学金の事後研修(トビタテ)など、今回のルワンダ留学をきっかけとして、様々な人と出会い、新たな気づきを得ることが出来た(写真6)。


その面から考えても、「留学での学び」ということはその1年間の学びだけではなく、一生新たなことを学ぶ機会を提供してくれるものだと、帰国してからより感じるようになった。この経験からみなさんには留学という、せっかくのチャンスを是非大いに、自分色で活用してほしいと思う。

写真6: PIASSの仲間と

最終更新:2022年12月28日