薩摩若太夫 正本 (横山町二丁目 和泉屋永吉 板)


   説経祭文 三庄太夫三十六段続 壱 旅立段 

三庄太夫 三十六段続
安寿姫・対王丸
旅立段
壱 説経祭文

 

薩摩若太夫
浜太夫・君太夫
峯太夫・春太夫・岡太夫・竹太夫

 

三弦
京屋市蔵・粂(くめ)七・蝶二・松五郎

 

板元
横山町二丁目横丁
和泉屋永吉

 


 たびだちのだん 若太夫直伝

 

さればにや、これはまた
奥州は、五十四郡の御(おん)主(ぬし)
岩城の判官政氏とて
目出度き国主のおわせしが
少しの筆の誤りにて
御門の御勘気、被りて
筑紫の博多へ、御(おん)流罪
跡にも残る御台様
忘れ形見ご兄弟
姉君様は、安寿姫
弟若君を対王丸
まだ、幼年にてあわせしが
家老、要(かなめ)が女房の宇和竹
局が忠義にて
信夫の里の片辺(かたほとり)
賤が伏屋(ふせや)引き籠もり
日陰の住まいをなされしが
誠に、光陰矢の如く
月日に関もあらずして
天岩戸(あまのいわと)の明け暮れも
姉の安寿が、十五歳
弟対王丸十二歳
御成長をなし給い
明けては
「父上、懐かしい」
暮れては
「父上、恋しや」
と、歎かせ給えば、御台様
「其方(そなた)ら、恋しい父上なら
母も、床しい、夫上(つまうえ)様
さまでに、恋しう、思うなら
今より、そなたら、兄弟を
筑紫の博多へ、連れ行きて
父上様に合わせん」と
俄に、旅の用意をし
宇和竹局を、供に連れ
主従親子、四人にて
昼は人目の?げければ
夜半に紛れて、それよりも
とある、隠れ家、立ち出でて
筑紫を指して、急がるる
歩み習わぬ、旅の里
辿らせ給えば、程もなく
北陸道(ほくろくどう)の北の果て
越後の国に隠れ無き
直江が浦に着き給う
既に、その日も黄昏の
早、家々も、戸差し(とざし)頃御台所は、立ち休らい
「これこれ、宇和竹
今宵も、最早、いつもの様に
良き宿、取りてたもやいのう」
仰せに、宇和竹
「畏まりまして御座います」と
彼処(かしこ)の家に走り行き
「我々は、足弱連れの旅の者
一夜、宿の御無心」
と、言えば主(ぬし)は立ち出でて
「申し、旅の方
当所は、越後の国、直江が浦と申しまして
昔より、慈悲第一の直江千軒(せんげん)
去りながら、近年の出来事にて
当所に、人勾引(ひとかどわかし)が住居いたし
往来の旅人を謀って(たばかって)
勾引し、難儀をさする故
只今にては、当所にて
一人たりとも、旅人(りょじん)に
宿(やど)貸してあるならば
留め置く人は、曲事
向こう三間、両隣は、
七貫文づつ、過料を取るとの
厳しいお触れ

気の毒ながら、旅の方
お宿の無心は、叶いませぬ」

宇和竹、はっと驚けど
是非無き事と、立ち戻り
その由、申し上げれば
御台所も、驚いて
「それが誠か、宇和竹や
宿貸す者の無い時は
そなたやわしは、ともかくも
不憫の者の兄弟を
今宵は、野宿(のじく)さするか」と、我が子を思う真実の
涙に暮れて、の給えば
宇和竹、聞いて
「これは、したり御台様としたことが
お心弱い事、御意あそばす
例え、これにて
宿貸す者の候らわずと、
又、外々を承り
良き宿取って参らせん
必ず、必ず、お案じあそばすな
御台様
ご兄弟も、定めし、お疲れにて候らわんが
まそっと、おひろいあそばせ」

と、勇め打ち連れ、それよりも
直江が浦の浜続き
日は暮れかかる、宿は無し
行き悩みてぞ辿らるる

掛かる向こうの方よりも
浜女郎が、五六人
潮(うしお)の担いを、肩に掛け
打ち連れて来たりしが
御台所は、ご覧じて
「いいや、待たれよ、女郎達
見らるる通り、我々は
足弱連れの旅の者
宿取りかねて、難儀に及ぶ
『旅は、道連れ、世は情け
殊に、女子は、歩み難い 』
とやら
そもじ達の宿所にて
簀の子(すのこ)の端なと
木部屋なと
それに厭い(いとい)は候わぬ
それそれ、四人の者共に
今宵、一夜を、明かせては
下さるまいか」
浜女郎は、聞くよりも
「おお、労しげなことじゃが
申し、旅の方々
当所では、一人なりとも、旅人に
宿貸す事は、きつい法度
辻々の高札にも、記してあれば
思いながらも、お宿の無心
叶いませぬが、
宿取りかねて、難儀とあらば
あれ、見やしゃれ
向こうに見える
黒森の此方(こなた)には
扇が橋と言うて
広い橋が御座ります
あれへ、御座って
今宵、一夜を明かさっしゃれ
旅の方々
さて、笑止の事なる」
と、皆、打ち連れて、賤の女は
我が家、我が家へ急ぎ行く

 

横山は、日本橋横山町
馬喰町・横山町周辺には、地本問屋が、集中していた

鎌倉時代の1230年、米1石は銭1貫文という記録がありますので、当時の1貫文は現代の米価を参考にするなら約6万円に相当

※拾う
(道を選んで)歩く。




説経祭文 三荘太夫 二 扇ヶ橋乃段 上

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


二 扇ヶ橋乃段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・谷太夫・君太夫

 

三弦
京屋新治・粂(くめ)七・栄治・蝶二

 

板元
横山町二丁目
和泉屋永吉

 

扇ヶ橋の段 若太夫直伝

 

さればにや、これは又
跡にも残る主従は
しからば、教えに任せんと
とある所を打ち連れて
扇ヶ橋になりぬれば
宇和竹局は、立ち止まり
「先ず先ず、これにましませ」
と、その身は橋へ上がられて
辺りの木の葉を掻き寄せて
時(とき)の褥(しとね)と仕り
油単を欄干へ掛けられて

ご兄弟を中にして
御台所と、宇和竹は
右と左に休まるる
川より吹き来る川風は
乳母が油単で凌ぐなり
上より落つる夜露(よつ)をば
四蓋(がい)の笠で凌がるる

ものの哀れはご兄弟
習わぬ旅の疲れにや
御台の膝に寄りもたれ
つい、とろとろと、寝入らるる
ものの哀れは、御台様
つくづく、これをご覧じて
「はあ、味気(あじき)ない 世の有様
世が世であらば
奥州五十四郡の御主(おんあるじ)
岩城の判官政氏の姫君様、若君と
夜の臥所(ふしど)も綾錦
隙間の風も厭い(いとい)しが
斯く、世に落つれば、この様に
一夜の宿貸す者もなき
斯く恐ろしき、この橋で
野宿をなすとは、何事ぞ
これを思えば、世の中に
旅は憂いもの、辛いもの
可愛い子には旅とやら
例えば、ここの事ならん
のう、宇和竹」
と、ありければ
宇和竹、哀れと思えども
心弱くては、叶わなじと
急き来る涙、押し隠し
「御台様の御(おん)嘆き、
ご尤もには、候えど
たとえ、今宵は、野宿(のじゅく)あそばすとも
又、明日は、
良き、宿、取って参らせん
お側には、女子(おなご)ながらも
宇和竹が、付き添え参らする上からは
千騎万騎と思し召し
お心強う、今宵一夜をお明かし遊ばせ
御台様」
「そんなら、宇和竹
はあ、是非無き
今宵のこの仕儀」と
主従(しゅうじゅう)、顔を見や合わせて
泣く泣く、野宿をなし給う
次第にその夜も更け渡る

それはさて置き、ここにまた
直江が浦に隠れ無き
山岡太夫権藤太
我が家をそっと抜けて出て
『黄昏の頃
浜辺にて見かけし、四人の奴ら
老いぼれが二人に
女郎(めろう)に童(わっぱ)
どれもどれも、見目美しき奴ら
直ぐに、勾引さんと思いしが
人目、繁りや、是非無く
取り逃がせしが、無念やな
去りながら、直江千軒にて
宿貸す者は、無し
小川(不明)の宿まじゃ二里八丁
夜道を駆けては得、行くまい
今頃は、扇ヶ橋の辺りに
野宿をしてけつかるはずじゃ
きゃつら、四人を謀って
勾引し、売り払って
ひと元手
どりゃ、扇ヶ橋へ参らん」
と、
山岡、その夜の出で立ちは
身に大格子(おおごうし)の褞袍(どてら)を着
腰には半弓(はんきゅう)、山刀(やまがたな)
猿轡(さるぐつわ)を懐中し
強盗(がんどう)頭巾で顔隠し

 六尺棒を杖となし
尻、ひっからげて、権藤太
扇ヶ橋へと急いで行く
急げば程無く、今は早や
扇ヶ橋になりぬれば
立ち留まって、橋の上を見てあれば
案に違わず、良っき寝鳥が、しし(?獣:鹿:猪)四羽けつかる

如何いたして、勾引さん」と
「それそれ、ひと脅し、脅しておいて
謀って、勾引さん
どれ、脅してくりょう」と
橋の上へ、上がられて
六尺棒を取り直し
橋板を、すとどん、すとどん
とぞ突き鳴らし
手早く、山岡、欄干の
陰に身を隠す
この物音に驚いて
主従、目を醒まされて
「ても、恐ろしい物音ぞ
今のは何(なに)ぞ
宇和竹よ、母上様」
と、御兄弟が
泣く泣く震えておわせしが
山岡、強盗頭巾、脱ぎ捨て
然あらぬ体にて、橋の上
歩み掛かり
「申し、旅の方々
あなた方は、何をその様に
きょろきょろ、さっしゃる
あなた方、この橋のお宿りは
様子知ってのお宿りか
但しは、様子、ご存知無くてのお宿りか
惜しい命を、蟒蛇(うわばみ)や
毒蛇の餌食みになる事の

  あら、生死や」と
山岡が、空(そら)震えして行かんとす
御台は、はっと、驚いて
「やれ、待ち給え、里人」と
山岡、袂に取り縋り
「我々、四人のものどもは
奥方より筑紫へ通る旅の者
 この跡の直江とやらにて
宿貸す(者の無き故に)

(初段と、太夫、三味線が異なっている)

ゆたん【油単】
湿気や汚れを防ぐための簞笥(たんす)や長持(ながもち)② などのおおい。ひとえの布または紙に油をひいたもので,風呂敷としたり,敷物などにも用いた。

笠の数える単位は枚、もしくは蓋(がい)。

強盗頭巾

頭・顔全体を包み隠し、目だけを出すようにした頭巾。苧 (からむし) 頭巾。目ばかり頭巾。ごうとうずきん

 

 

 

 

 

ね‐とり【寝鳥】
  ねぐらで寝ている鳥。ねぐら鳥。

 

うわばみ【蟒蛇】 巨大な蛇。大蛇 (だいじゃ) 。おろち。


説経祭文 三荘太夫 二 扇ヶ橋乃段 下

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

二 扇ヶ橋乃段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・谷太夫・君太夫

 

三弦
京屋新治・粂七・栄治・蝶二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

扇ヶ橋の段 若太夫直伝

 

(直江とやらにて、宿貸す)
者の無き故に
是非無くこれにて
一夜を明かす者
惜しい命を、蟒蛇(うわばみ)や毒蛇の餌食みになろうとは
どうした訳でござる
語り聞かせて下され」
山岡、聞いて
「すりゃ、なんと仰る
あなた方は、この跡の直江が浦にて
宿貸す者の無き故に
是非無く、これにて
一夜を明かす
すりゃ、なんにも知らぬ旅の方
様子、ご存知なくば
私が、ひと通り
語り、お聞かせ申しましょう
まま、お聞きなされ
この橋は、越後の国、
直江が浦に隠れ無き
扇ヶ橋と申します
この橋、掛け渡してより未だ
橋供養が御座らぬ
橋供養の無い橋じゃによって
毎晩、毎晩、丑三つの頃になると
あれ、向こうに見ゆる黒森からは年々経たる、

蟒蛇がここへ、毎晩毎晩舞い下がるげな
そうすると
下なる河からは、二十尋(はたひろ)余りの大蛇が
これは、舞い上がり
その蟒蛇と、大蛇めが
毎晩毎晩、この橋で
飽かぬ契りを込めけるげな
辺りに人のある時は
見られちゃ、出世の妨げと
取っては服し(ぶくし)
或いは、引き裂き捨てるげな
あなた方も、この橋で
一夜、明かさせ給うなら
惜しい命を、蟒蛇や、毒蛇の餌食みになりましょう
早くどこぞへ、行かっしゃれ」

と言い捨て、又もや行かんとす
御台、尚(なおし)も、引き留め
「やれ、待ち給え、里人様
それが、誠に候や
ても、恐ろしき物語
そも、自らや、宇和竹は
四十路に余る、老いの身の
例え、野に伏し山に伏し
この身は毒蛇や蟒蛇の
餌食みになりてあればとて
命を惜しむにゃ、あらねども
これにも伏したる兄弟は
未だ年端も行かぬ者
殊に願いの候て
海山越えて遙々と
長の旅路を致す者
子供が不憫に候えば、
里人様のおなさけで
簀の子の端なと木部屋なと
それに厭いは候わぬ
我々四人の者に
今宵、明かさせ給われ」と
涙に暮れて御台様
宇和竹局も諸共に
頼めば、山岡権(ごん)藤太
して取ったりと、喜べど
面(おもて)にそれと出さずし
「これはしたり、旅の衆
あなた方は、只今、なんと仰った
この跡の直江にて
宿貸す者無き故に
是非無く、これにて一夜を明かすと、

仰ったじゃござりませぬか
当所では、旅人に
宿貸すことは、きつい御法度
一人たりとも、旅人に
宿かしてあるならば
当人は曲事
向こう三軒両隣は、七貫文
過料を取ると
地頭所(ぢとうしょ)より、厳しきお触れ
気の毒ながら、お宿の御無心、叶いませぬが
お待ちなされ
指折り数えてみれば
今宵は、わしも、ちょうど
大切なる先祖の逮夜(たいや)

人目を忍んで、今宵一夜
後生のお宿をいたしましょう
わしが、跡から、御座らっしゃれもしも、道にて
人に会えばとて
わしと、連れのように話しなぞは決してご無用
もしも、あなた方に宿貸すことが
知れるが最後
この山岡が、白髪首(しらがくび)を取らるる話し
静に、跡から、来やしゃれ」と
まことしやかに、欺(あざむ)けば
主従四人の方々は
誠の情けと心得て
「命の親の里人様
のう、有り難や、嬉しや」と
取る物さえも、そこそこに
かの山岡が跡にも付いて、主従は
住処(すみか)を指して急がるる
後の哀れと白露の(※知らない)草踏み分けて行く程に

 

逮夜(たいや)

大夜とも書き、宿夜(しゅくや)とも称す。大夜とは大行(だいぎょう)(死のこと)の夜をいう。また一昼夜を六時(日没(にちもつ)、初夜、中夜、後夜、晨朝(じんじょう)、日中)に分けて、日没時ともいう。逮の原義は「明日に及ぶ」という意味で、今日では前夜の意味に転用され、葬式、年忌(ねんき)法要の前夜の意味に用いられている。

 

 

 


説経祭文 三荘太夫 三 山岡住家の段 上

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


三 山岡住家の段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・三名太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂七・栄二・三亀

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

山岡住家の段  若太夫直伝

 

さればにやこれはまた
かくては、山岡権藤太(ごんとうた)
おのれが住家になりぬれば
「申し、旅の衆、
これが、わしが家(うち)で御座る
さあさあ、これへ」
と、門(かど)の戸、開けて
家へ入り
「ばば、今戻った
これに、御座る旅の衆に
今宵、一夜、後生のお宿を参らする
随分、ご馳走致せや」と
聞くより、女房、驚いて
「えい、情け無い、山岡殿
又もや、邪見が起こりしか
これこれ、申し、旅の方
宿貸す事は、なりませぬ
早く、どこぞへ行かしゃれ」と
言うを山岡、打ち消して
「これは、したり、婆
何を言うやい
これなる衆は、陸奥(みちのく)より
筑紫へお通りなさるる旅の衆
扇ヶ橋に野宿しておいでなされ
この山岡を見掛け
どうぞ今宵、一夜の宿を貸してくれいと仰る
宿貸す事は、なりませぬとは、
言うてはみたが
そなたが、知っての通り
今宵は、俺も大切なる先祖の逮夜(たいや)
殊に、今迄の罪滅ぼし
人目を忍んで
今宵、一夜、後生のお宿いたさんと
せっかく連れ申したが
それでも、そなたは、
宿貸すことならぬかと
背中たたいて、綾なせば
元より、浅き女義(おんなぎ)の
誠の事と心得て
「その心にてあるならば
なにしに否やを申しましょう
さあさあ、これへと言うままに
盥(たらい)にぬるま湯を汲み来たり
主従四人の方々に
下(しも)をも濯がせ
一間の内にへ伴いて
元より情けの女房が
お茶、煙草盆、持ち来たり
心ひとつに、手ひとつで
程無く、全部をしつらいて
「なにがな、ご馳走いたさんと
存じますれど
この様に、在所の事に候えば
誠に、これは、出來合い」と、
良きにも勧め、ご馳走し
山岡太夫、立ち出でて
「これ、ばば
おりゃ、はったりと
忘れた事がある
昼間、浜へもちを流しておいたが
夜明けに鳥がかかるなら
後生も菩提も皆、無益
今から、おりゃ、浜へ行て
黐縄を外してこよう

そうして、今夜は、空合も悪い
ついでに、船も内川へ乗り廻し
明日は、大切なる先祖の命日
山浜共に、漁を休まん
お客方も定めし、お疲れで御座りましょう
ゆるりと、お休みあそばせ
ばば、そなたもお客方をお休め申したら
ちっとも早く、休みやれ
浜へ行て来る」と
我が家を出でて山岡は
道、四五間も行きけるが
何思いけん、立ち止まり
「はあ、それそれ
世の中の例えにも
七人(しちにん)の子はなすとも女に肌を許すなとあり

 後にて、婆めが
四人の奴に、
どのような入れ知恵、交(こ)うもしれぬ

どれ、家(うち)の様子を、立ち聞かん」と
取って戻して、山岡が
軒の下に身を忍び
家の様子を立ち聞くを
神ならぬ身の夢知らず
涙ながらに、女房は
四人の衆に打ち向かい
「申し旅の方々
最前、あなた方のお出での折から
私(わたくし)が、宿貸す事はなりませぬと、申したを
定めし、邪見な婆じゃと
思し召しましょうが
これには、段々、様子のあり事
一通り、語りお聞かせ申さねば、分かりませぬ
私(わたくし)夫、山岡太夫権藤太(ごんとうた)
ありゃ、若い時から
人勾引(かどわかし)の大名人
往来の旅人(りょじん)を謀って勾引し、

難儀をさする事、数しれず
只今、当、直江が浦にて
一人たりとも、旅人(たびびと)に宿貸す事の法度になりし
元の起こりはと、申しますれば
わたくし夫、山岡より起こりし事なれども
近年は、次第に、年老いまして
左様な事は止め
(山浜を狩り暮らしまして)

もちなわ【黐縄】
鳥を捕らえるために,鳥黐(とりもち)を塗りつけた縄。

(諺)たとえ妻と仲が良く信頼し合っていたとしても、決して心を許してはいけなく、大事な秘密の話は打ち明けるなという意味


説経祭文 三荘太夫 三 山岡住家の段 下

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


三 山岡住家の段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・三名太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂七・栄二・三亀

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

山岡住家の段  若太夫直伝

 

山浜を狩り暮らしまして
朝夕の煙の代(しろ)といたしますれど
見目美しきあなた方を
四人までお連れ申せし故
ふっと又、以前の悪事も起こりしかと
思い過ぐしをいたしまして
あの様に申しまして御座ります
必ず必ず、お気に、さへ(※せ)られまするな
旅の方々が、
私(わたくし)が斯様に申しましたら、あなた方は、
さまでに、情けある心なら
この様な、邪見な者に
いつまでも、連れ添うておる事は
ありそうも無いものじゃと
定めし、思し召しも御座りましょうが
ここが、浮き世に御座ります
元より邪見の山岡故
疾うから、心を見限りて
今日は、暇(いとま)の状取らん
明日は、離別をいたさんと
思いし事は度々なれど
切るに切られぬ悪縁で
今日まで連れ添いおりますが
悪い夫(おっと)を持ちまして
心の休まる暇も無く
朝夕、気兼ねをいたします
婆が、心のその内を
御推量なし給われ」と
涙ながらの物語
御台所も宇和竹も
「さては、左様に候か
ほんに愛しい事なる」と
供に涙に暮れ給う
女房、ようよう、涙を払い
「申し、旅の方々
去りながら、未だ
計らわれませぬ
夫(おっと)、山岡が心の内
明日(みょうにち)
あなた方を、御立たせ申すは
夜明けぬ内
もしも、夫山岡が
山路を行けと教えたましたらば
浜路をお出であそばせ
又、浜路を行けと申しましたらば
山路をお出であそばせ
必ず、必ずこの事を
お忘れあそばすな
旅の方々
さぞかし、お疲れにてましまさん
ゆるりと、お休みあそばせ」と
四人の衆を休ませて
その身も納戸へ入りにける
軒の下なる山岡は、
始終(しじゅう)の様子を立ち聞きし
躊躇う(ためろう)息をほっと付き

 「案に違わず、婆めが入れ知恵
がらりと、ぶちまけおった
例え、入れ知恵交え(かえ)ばとて
四人の奴らは、網代の魚(うお)
籠の鳥、同然
どれ、浜へ行て、船を仕立て
夜明けぬ内に引き摺りださん」と
とある我が家を立ち出でて
船場を指して、急ぎ行く
斯くて、船場になりぬれば
手早く船を仕立てられ
とある船を立ち出でて
我が家を指して飛んで戻る
程無く我が家になりぬれば
『門(かど)の戸、叩かば
婆めが、邪魔ひろぐは治定

 それそれ、裏から廻って
引き摺り出さん』と
その身は、背戸へ廻られて
外から、〆り(しまり)を引き外し
音をそろそろと押し開けて
難なく家へ忍び入り
差し足抜き足、忍び足
鷺が、鰍(どじょう)踏む、足取りで
ほっと、一息、次の方
納戸の内を覗いて見て
「婆めが入れ知恵、交ってあればとて
あの、どぶさった様を見ろ

 ※どぶさるは、ど臥さる
=寝ること

どれ、この間に
四人を引き摺り出さん」と
行燈(あんどう)提げ
唐紙をそっと開け
「申し、旅の方
お目、覚まされよ」と
呼び起こされて、主従、皆々
お目を覚まされて
御台様は、起き直り
「これは、これは、山岡殿
只今、浜方より、戻られしか」
「いや、私は、疾うに戻り申して
一間で、最早、婆めとやらかしまして御座ります
やらかしましたと申せば
どうやら可笑しいが
一寝入り、やらかしました
枕に響く、明の鐘
夜明けて、あなた方をお立たせ申し
もしも、一夜の宿したるが知れるが最後
夜前、扇ヶ橋で申し上げたる通り

この山岡が白髪首を取らるる話し
さあ、ちっとも早く
お支度なされ」と
急き立てられ
然らば、左様に致さんと
ご兄弟をはじめとし
旅の用意もそこそこに
主従、一間を出で給い
「これは、これは、山岡殿
不思議なご縁で、この様に
一夜のお宿のお情けに預かる
いつが世にかはこの礼を、いたしましょう
殊に優しき御内室
ちょっと合う(おう)て、一礼」
「これは、したり
婆めは、昼の家職に身も疲れ
あれ、あの通り、前後知らざる
高鼾(たかいびき)
起こして、礼の、暇乞いのと
暇取る内には、夜が明けます
婆には、わしが申し聞かせましょうから
あなた方は、お支度よくば
ちっとも早くお立ちなされ」と
急き立てられ
「しからば、宜しう頼みます」
「さらばに御座る、山岡殿」
「さらばにまします主(あるじ)様」
さらば、さらばと、主従が
山岡家(うち)を立ち出でて
辿りて、急がせ給えども

ためらう【躊躇う】
様子をみる。待つ。

ひろぐ【広ぐ】

(動詞の連用形に付いて)他人の動作をののしっていう。…しやがる


説経祭文 三荘太夫 四 勾引乃段 上

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


四 勾引乃段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・谷太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂八・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

勾引(かどわかし)の段  若太夫直伝

 

さればにや、これはまた
まだ、夜を込めたる事なれば
葦間(あしま)も知れぬ真の闇
どちらへ行たら良かろう
主従、そこに立ち止まり
行き悩みてぞおわしける
掛かる所に山岡は
行き急き切って駆け来たり
「申し、旅の方々
あなた方を、立たせましたを
明け六つと思いの外

 ありゃ、わたくしが、一時の時違いで
七つで御座りました

 暗さは暗し、道が知れいで
さぞ、御難儀であろうと存じまして
ようよう跡を慕うて参りました
とてものことに、私が
開けるまで、道案内を、致しましょう
あなた方は、筑紫の博多へお出でなさるには
山路をお出であそばすや
但しは、浜路をお出でなさるや
どちらを、お出であそばす」と
問い掛けられて、御台様
はっとばかりに、胸の内
宵に主の女房が
教えられしは、ここならん
山路と言うが良かろうか
浜路をと言うたがよかろうか
如何はせんと、とつおいつ

 あれこれ思い迷って決心のつかないさま。

暫く御思案なされしが
ようよう、思い定められ
「そんならどうぞ、山岡殿
迚もの事に、山路を教えて下され」「これは、したり、滅相な
筑紫の博多は、山路をお出でなさるなら
難所、あるが
中にも、親転ばしには、子転ばし
狼坂(おおかめさか)に法師投げ
蝮蛇(まむし)峠、追い剥ぎ坂
なぞと言う、えらい難所
あなた方の足弱にて
十三里の山道
思いもよらぬこと
あれ、靄(もや)で、ろくろく向こうは、見えませぬが
乾(※北西)に当たって、微かに見ゆるが、筑紫の博多
船にて行けば四里とちっと
迚もの事のお情け
わたくしが、あなた方を
小舟に乗せまして
筑紫の博多まで
送ってしんぜましょう
悪い事は申しませぬ
さあ、ちっとも早く
わしに続いて、来やしゃれ」と
まことしやかに、偽れば
ご運の末は、是非もなや
誠の事と、御台様
「段々、篤き、ご親切
然らば、よろしう頼みます」
「さあさあ、御座れ」と
先に立つ
船場を指して連れて行く
程無く、船場になりぬれば
「さあさあ、お召しあそばせ」と
歩みを渡し、難無く、四人を船に乗せ

 「夜前(やぜん)、扇ヶ橋より
我が家へお連れ申し
時(とき)違いで、お立たさせ申し
ろくろく、御夜間も無く

定めし、お眠う御座りましょう
夜、明けるまでは、今ひと時
ゆるりと、これにて
お休みあそばせ
わしも、艫(とも)の間で
一寝入り、やらかしまして
湊、白んであるならば
直ぐに、船を出しましょう
さあ、あなた方
夜明けまで、ゆるりと、お休みあそばせ
どれ、平とば(帳)、切って、しんじょうと
まづめ隠しのとば(帳)を切り

 山岡、己も艫の間で
梶柄(かじづか)、枕に狸寝入りをやらかせば
主従四人の方々は
旅々の疲れも重なれば
互いに底へ寄り給う
皆一同に寝入らるる
山岡、其れと見るよりも

あけむつ【明け六つ・明六つ】
江戸時代の時刻法で,明け方の六つ時。季節により変動するが,およそ今の六時頃。卯の刻。

 

ななつ【七つ】
昔の時刻の名。今の午前と午後の四時頃。七つ時。

とつおいつ
「取りつ置きつ」の転

あゆみいた【歩み板】
船から陸に,あるいは船から船に渡るときに,間にかけ渡す板。

お‐よる【御夜/御寝】寝ることをいう尊敬語。

まづめ:間詰めカ?・・・目を詰めた目隠しになる帳


説経祭文 三荘太夫 四 勾引乃段 下

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


四 勾引乃段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・竹太夫・谷太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂八・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

勾引(かどわかし)の段  若太夫直伝

 

(山岡、それと、見るよりも)
帳(とば)をまくり
「申し、旅の方
ええ、良くどぶさった
どれ、この間に、そろそろ船を出ださん」と
先ず、帆支度(ほじたく)をなしいける
それは、扨置き
山岡が宿にも残せし女房は
枕に響く明の鐘
ふっと目覚まし、起き直り
「今のは、ありゃ、確かに
明け六つ
見れば、山岡殿も
まだ、浜から、戻られぬそうな
夜明けぬ内に、旅の衆を立たせましょう」と
納戸を出でて、一間を見て
はっと驚きて
「さては、夫(おっと)山岡が
連れ出せしと覚えたり
様子は、浜辺」
と、言うままに、そのまま、庭に跳んで降り
門(かど)の戸、開けて、老いの足
転(こ)けつ転(まろ)びつ、一散に
浜辺を指して、追っかけ行く
船、出ださんとする所へ
ようよう、女房、駆けつけて
舫いにすがって
「ちい、のうこれ、山岡殿
案に違わず、四人の衆を
売る気じゃの
若い内なら、是非も無い
明日をも知れない老いの身の
後生の道こそ、願わいで
掛かる、工みは、何事ぞ
浮き世の中の営みは
畦の落ち穂を拾うとも
互いに、袖露結び合い

 人の軒端(のきば)に立てばとて
身過ぎ、世過ぎは是非がない
えい、情け無い、山岡殿

 如何なる事のあれば迚(とて)
売らせる事は、なりませぬ
この船やらぬ、出ださせぬ」
と、
舫いに縋り、女房が
転けつ転びて、磯端(いそばた)を
命の限りに引き留める
山岡、聞いて
「やい、黙れ、ばば
おのれが、留め立てした迚
そんなら、よそうと言う様な
山岡だと思うかい
女、賢(さか)しくて
牛、売り損なうとは
おのれが事
疾うでしかかった、この仕事
邪魔するな、そこ放せ」
「いやいや、放さぬ」
「なに、放さぬ、はなさざ良い」と、櫂(かい)おっ取って
漕ぎ出だす
女房、舫いに取り縋り
命限りに引き留めれど
女の非力の悲しさは
そのまま、海へ引き込まるる
邪見なりける山岡が
深みになれば、委細構わず、艪(ろ)を立てる
女房、舫いを手繰り寄せ
船間近くもなりぬれば
既に、声を立てんとす
「しゃ、面倒なる老いぼれ」
と、山刀を抜き放し
舫いを、すっぱと切り落とす
無残なりける、女房は
底の水屑となりにける
山岡、艫(とも)の間から
水底(みなぞこ)を覗いて見て
「愚人、夏の虫、
飛んで火に入る、
婆めは、それと、事替わり
飛ばずに水へ、つぱ入り(※つっぺいり?)

 あったら命を棒にふったる婆めが大だわけ(戯け)
去りながら、この年月まで
抱き寝をしたる夫婦の愛情
せめて、捨て念仏など、唱えてくれん
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
欠伸のついでにもちっとまけて
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
邪魔、追っ払って、さっぱりとした
どれ、漕ぎ出して
子飼いの船に、売り渡さん」と

艪柄(ろづか)持つ手もしっかりと
早や、帆掛けて、山岡が
沖を指して、漕いで行く

 

そで‐の‐つゆ【袖の露】
袖にかかる露。袖が涙にぬれるたとえ

 

みすぎよすぎ【身過ぎ世過ぎ】
生活。生計

 

 

 

ぐにんはなつのむし【愚人は夏の虫】
愚人は自分で自分を危険におとしいれることのたとえ

 

こ がい -がひ  【子飼い】
特に商人の雇い人や職人の弟子にいうことが多い。


説経祭文 三荘太夫 五 船離段 上

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


五 船離段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂七・三筋・粂八

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

船離(ふなわかれ)の段  若太夫直伝

 

さればにや、これはまた
遠寺(えんじ)の鐘に誘われて
夜明け烏が告げ渡る
五更の天も晴れ行きて
夜はほのぼのと、明け行けば
山岡、用意の舟印(ふなじるし)
舳先に押し立て、漕いで行く
その時、直江の湊より
佐渡と丹後の人買いは
山岡が船の印を見るよりも
「あれこそ、直江の山岡なり
いで、買い取らん」と
言うままに、
互いに小舟を乗り出だし
腕に任せて、やっしっし
山岡船(ふね)へと、漕いで来る

なんなく、船を漕ぎ寄せて
「いで、俺、買わん」
「我、買う」と
大声上げて、争えば
山岡、聞いて
「これは、したり、二人(ふたり)の若者、声が高い
寝鳥が立つ
静に、しやれ
どうで、二人に売らねばならぬ
先ず、代物を見やれ」
と、言うままに
帳(とば)をまくり
「その古鳥が、二羽
若鳥が、二羽
佐渡、おぬしが国の佐渡島では
古鳥でなければゆかぬ
おいぼれ二人は、次郎
おぬしに売ってくりょう
又、宮崎、
おぬしの国の丹後では
若鳥でなければゆかぬ
女郎(めろう)に童(わっぱ)は宮崎、
おぬしが方へ」と
山岡が言えば、佐渡、宮崎は
心得たりと喜んで
「さあさあ、値段をしましょう」と
かの山岡が、左右の袖へ手を入れて
指を掴んで、値段をす
山岡太夫、頷いて
「すりゃ何と言う、宮崎
おのしが方(ほう)は、若鳥だけに
四貫ずつ八貫
又、佐渡、おのしが方は
古鳥だけに、二貫ずつ四貫
こりゃ又、あんまりな見倒し様
四貫に八貫しめて、十二貫で
よっぽど、俺も元値が欠けるが

久しぶりだ、負けてくりょう」
おお、そんなら、締めてやれ」と
しゃんしゃんと手を打って
四貫に八貫、受け取って
手早く、山岡、身の代を
板子の下へ、始末をし
「さあ、さあ、申し
旅の衆、お目、覚まされよ」と
呼び起こされて、主従は
皆々、御(おん)目を醒まさるる
「申し、旅の衆
あなた方を、起こしましたは、別では御座りません
これに居ります、二人(ふたり)の若者
こちらのは、佐渡島に隠れ無き
外海府(そとがえふ)の次郎と申します
又、あちらのは
丹後の宮崎四郎と申しまして
二人ながら、この山岡が、甥で御座ります
二人の甥が、船漕ぎ、来たって、申しますには
おらが、叔父様(おじご)が、
お客を、送って御座ったが
年寄り骨で、筑紫の博多までは
朝には、大義であろう
これからおれが替わって送ろう
いや、我が、替わって送ろうと
馳走振りの論をいたす
じゃによって
双方、恨みの無いように
あなた方を、お二人づつ
二艘の船に乗せ分けまして
長舟梁(ながふなばり)を、しっかと、舫い
船足、軽けりゃ、船が速い
若い奴らが、腕いっぱいに、押すならば
煙草、飲む間にゃ、筑紫の博多へ参ります
さあ、ご用意よくば
あなた方は、こちらの船
ご兄弟はこの船へ」と
二艘の船へ乗せ分けながら
舟梁をしっかと舫い
おのれが小舟を脇に退け
「これこれ、申し旅の方
昨夜、扇ヶ橋より、我が家へお連れ申しまして
一夜のお宿を致せしも
誠に、多生の縁とやら
今又、これまで、送りつつ
二人の甥に頼みつつ
お別れ申し、山岡は
直江が浦へ戻ります
別れとなれば、悲しゅうて
ほんに涙がこぼれます
例え、筑紫へ御座るとも
思い出す日もあるならば
直江が浦、漁師なる
山岡太夫権藤太、
親父めは、豆でおるかやと
年に一度の捨て文か
便宜(びんぎ)、便りをしてたもれ
別れが辛い、悲しい」と
出もせぬ涙に唾を付け
まっと泣こうと、山岡が
しゃくり上げて、出もせぬ涙
鼻が邪魔で、目の先へ
届かぬ舌が、恨めしいと
こちらを向いては
(ぺろりと舌を出す)

 

 

 江戸初期から中期にかけての金1両(4000文)は10万円に相当するといいますので、1貫文は1000文ですので25000円に相当します・・・12貫(約30万円)


説経祭文 三荘太夫 五 船離段 下

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


五 船離(ふなわかれ)の段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・粂七・三筋・粂八

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

船離の段  若太夫直伝

 

(こちらを向いては)
ぺろりと舌を出す
御台所
「これは、これは、山岡殿
別れが悲しゅうのうて
何といたしましょう
宿元(やどもと)へ戻られてあるならば
御内室へも宜しう、伝えて下されこれ、兄弟、
山岡殿は、直江が浦へ戻らっしゃるとある
暇乞いを申しやいのう」
御台の仰せにご兄弟
宇和竹局、諸共に
「さすれば最早、主(あるじ)様
直江へ戻らせ給うとや
お名残惜しや」と、主従が
涙に暮れての暇乞い
横着者の山岡は
「いつも別れは、同じ事
これこれ、二人の若者
気をつけて、お客を送って参らせよしからば、

お別れ申すべし
さらば、さらば、」
と、山岡が、小舟を乗り回し
直江を指して漕ぎ戻す
佐渡、宮崎の船頭(ふなおさ)も
腕に任せて、艪を立てて
沖の方(かた)へ漕いで行く
丹後の宮崎、声を掛け
「これ、佐渡、
いつまで、漕いだ迚、果てしが無い
何ともう、ここらで、やらかそうじゃないか」
次郎、聞いて
「成る程、宮崎が言う通り
いつまで漕いでも同じ事
そんならもう、ここいらで、やらかそう」と
言うより早く、相、舫い、解けば二艘のその船は、
右と左へ別れける
御台は、はっと驚いて
佐渡の次郎に取り縋り
「これこれ、申し、船頭(ふなおさ)殿
あの兄弟が乗る船も
妾(わらわ)が乗りしこの船も
ひとつ湊へ、行くものを
何故、東西へ漕ぎ分ける
あの船、これへ
この船、あれへ」
と、焦らるる
佐渡の次郎は、これを聞いて
「可哀や、老いぼれ
おのれ、何にも、知らぬな
あれ、たった今、直江が浦に戻った、山岡太夫権藤太
ありゃ、人勾引の大名人
則ち、山岡が元より
おのれら二人(ににん)は
この次郎が二貫づつ四貫文で買い取って
佐渡ヶ島へ連れて行く
又、あれなる兄弟の餓鬼共は
四貫づつ八貫で買い取って
丹後の国へ連れて行く
何にも知らぬ老いぼれ
佐渡と丹後へ行く船が
どうしてひとつに漕がりょう」と
空嘯(そらうそぶ)いて、漕いで行く
御台は、直しも、驚いて
「さすれば、直江の山岡が
我々四人を、謀(たばか)って
二艘の船へ売りしとや
こは、何とせん、宇和竹え」
「御台様よ」
とばかりにて
わっと斗に、どうと伏し
狂気の如くの御(おん)嘆き
何、思いけん御台様
涙の御(おん)顔、振り上げて
「これのう、ふなおさ殿
売られ、買わるる、我々は
定まる前世の業縁(ごうえん)と諦めも致そうが
あれなる二人(ふたり)の兄弟に
ここで別れて、いつが世に
又、会う事は、知れ難し
只、この上の情けには
あの兄弟が乗る船と
妾が乗りしこの船を
ひとつ所へ漕ぎ寄せて
応や子一世の行き別れ
名残を惜しませ給われ
船頭(ふなおさ)殿」
と、ありければ、次郎、聞いて
「すりゃ、何とぬかす
売られ、買わるる我々は
定まる前世の業縁と
諦めもしよう?
成る程、こりゃ、いい諦め、去りながら
あれなる二人の兄弟に
ここで別れて、いつか、世に
又、会う事がしれぬ
此上の情けには
あの船と、この船を、
ひとつ所へ漕ぎ寄せて
親子、一世の名残を惜しませてくれ?
おお、そのくらいなことは、まだ安め、
追ってくりょう
吠えずとそこに、待ってけつかれ」と
つっ立ち上がり、外海府(※次郎のこと)
「やあい、宮崎、その船、返せ」と
艪を押し切って漕いで行く
なんなく船を、漕ぎ寄せて
「これ、宮崎
おのしが船を呼び返したは、別では無い
この老いぼれめらが、ぬかすには
売られ、買わるる、我々は
定まる前世の業縁と、諦めもしょうが
二人の餓鬼めらに、ここで別れて
いつが世に、又会うことが、知れぬから
此上の情けには
その船と、この船を、ひとつ所へ漕ぎ寄せて
親子一世の生き別れ
名残を惜しませてくれと
ひたすらの願い
その位な事を、厭う次郎じゃないが
おりゃ、この年まで
親子一世の生き別れとやらを
見たことがねい
何と、宮崎
おのしと俺と
煙草でも飲みながら
こいつらが、生き別れの哀れな所を
見物しようじゃないか


説経祭文 三荘太夫 六 筐贈段

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸


六 筐贈段 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
枡太夫・谷太夫・三名太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・三亀・市蔵・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

筐贈(かたみおくり)の段  若太夫直伝

 

さればにや、これはまた
宮崎、聞いて
「成る程、こりゃ、面白かろう
そんなら、おのしと俺と
こいつらが、生き別れの愁嘆
ゆるりと、見物しましょう」と
またもや、船を舫われて
情けを知らぬ、船頭(ふなおさ)が
煙草飲み付け
艫(とも)の方に、大あぐら
煙を空に燻(くゆ)らして
空嘯いて、居たりける
物の哀れは、御台様
宇和竹局に誘われ
丹後の船に乗り移り
ご兄弟の方々を
右と左に引き寄せて
急き来る涙を押し留め
「これ、兄弟
たった今、直江が浦へ戻った
山岡太夫権藤太
ありゃ、情けの者と、思いしに
人勾引(かどわかし)にてあったと(※ぞ)いのう
我々四人を謀って、
二人(ふたり)の衆に売りしとある
自らや宇和竹は、佐渡ヶ島
そなたら二人は、丹後の国へ
売りしとよ
さすれば、これが、生き別れ
例え、何処(いづく)へ行けばとて
鳥の鳴く音は、同じ事
兄弟仲良く、睦まじく
如何なる事のあればとて
短慮な心を致しゃるな
死は一旦にして、遂げ易し
生は、万代にして受け難し
命さい(※え)だにあるならば    
又、会う(おう)事もあるべきぞ
弟に短慮のある時は
母に代わって、姉の姫
弟へ意見を致すべし
姉に短慮のあるならば
年は行かねど、弟(おと)の若
父上様に成り代わり
姉へ意見を致すべし
必ず、必ず、兄弟よ
母が詞(ことば)を忘るるな
せめては、形見を送らん」と
涙ながらに、御台様
守り袋を取り出だし
「これ、兄弟
この守り袋の内には
家代々の御(おん)守り
伽羅栴檀の地蔵尊(※佉羅陀山の間違えと思われる)
兄弟、何処(いづく)へ行けばとて
肌身離さず、朝夕、随分、信心しや
兄弟が身の上に、
自然大事のある時は
御(おん)身代わりに立ち給う
まった、きょじ(凶事)、災難は救わせ給う、地蔵尊
これは、姉への形見の品
この一巻、こりゃ、岩城の系図
弟への形見の品
これが無くては、出世はならぬ程に
必ず、人手に渡しゃるな」
形見を送ればご兄弟
「母上様や、宇和竹に
ここで別れて、我々が
誰を頼りに致すべし
あの船頭に願いつつ
母上様と諸共に
佐渡へ連れさせ給われい
離れはせじ」
と、取り縋り、歎かせ給えば、宇和竹も
「如何なる事のあればとて
年端も行かざる御兄弟
何処へ離してあげらりょう
離れはせじ」と、主従が
互いに取り付き縋り付き
目も当てられぬ有様を
宮崎、それと、見るよりも
「これ、佐渡
なんだか、俺りゃ
おかしな心持ちになってきた
こんな事は、長とく聞きものではない
もう、いい加減に、引き分けて
行こうじゃあ、あるまいか」
次郎、聞いて
「成る程、宮崎が言う通り
いつまで、聞いても
果てしが無い
そんなら、もう引き分けて、行きましょう
さあ、来い、失しょう、おいぼれめ」
と、御台所と宇和竹を
襟筋(えりすじ)掴んで、引っ立てる
「離れはせじ」と、取り縋る
「しつこい奴ら」と、言うままに
無理や無体に引き分けて
手早く、おのれが船に乗せ
舫いを解いて、突き放せば
船は、左右へ別れける
主従親子の方々は
「母上様い」
「宇和竹、いのう」
「兄弟よ」
「御兄弟」と
小縁に縋り、声を上げ 
呼べど叫べど、情けなや
船は、浮き木の事なれば
次第次第に遠ざかり
直江が浦の朝霧に
主従、親子、今は早や
姿、貌(かたち)も見えざれば
わっとばかりに声を上げ
狂気の如くの御嘆き

「だに」: 類推=・・でさえ。 ・・すら。(ある事物・状態を強調し他は当然と暗示)
「さへ」:ⅰ 添加=・・までも。  そのうえ・・までも。

こ‐べり【小▽縁】
1 小舟の舷(げん:ふなべり)の上縁に保護材として張った板。


説経祭文 三荘太夫 七 宇和竹恨段

説経祭文 三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

七 宇和竹恨段

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・菊太夫・君太夫

 

三弦
京屋市蔵・三亀・粂七・蝶二

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

宇和竹恨(うらみ)の段  若太夫直伝


さればにや、これはまた
何、思いけん、宇和竹は、居直って
御台様の前(まい)へ両手を突き
「申し、御台様
思えば思えば、憎っくき
直江の山岡
宇和竹、つくづく考えみまするに
あなた様と諸共に
佐渡ヶ島とやらへ売られ行き
三代相恩のご主人の
朝夕の御難義を
家来の身として、宇和竹が
見まするも、ほうぎ(法義)にあらず
 只、この上は、自らに
永(なが)のお暇を給われ」と
言うより早く、宇和竹は
海へざんぶと身を投げる
御台は、はっと驚いて
「えい、情け無い、宇和竹よ
そなたばかりが、死なずとも
何故(なぜ)、自らをも、連れざりし
供に、入水(じゅすい)」
と、立ち上がれば
次郎は、慌てて、い抱き止め
「どっこい、そうは参らぬ
たった今、山岡が元より
二貫づつ、四貫に
買いたてほやほや
一人(ひとり)、飛び込まれて
二貫の損耗(そんもう)
その上又、おのれに飛び込まれてたまるものか
こりゃ、こうしては、置かれぬ
どれ、ひっ括(くく)してくりょう」と
何の厭いも荒縄の
舫いを解いて、高手小手に括(くく)し上げ
中舟梁に猿繋ぎ
腕に任せて、艪を立てて
佐渡ヶ島へと漕いで行く
それはさて置き、その時に
遥か沖より、水煙り
逆波立って、荒れ出だし
黒雲、しきりに舞い下がり
震動雷電霹靂神
(しんどうらいでんはたたがみ)
雨は、車軸を流しける
女の一念恐ろしや
かの宇和竹が怨霊は
二十尋あまりの大蛇と、
忽ち現われて
九万九千(くまんくせん)の鱗に、水をいららけて

 角を、かぼくと(※がばっと?)、振り立て
大の眼を怒らして
実に、紅の舌を巻き
逆巻く波を掻き分けて
浮いつ、沈んず、沈んず、浮いつ
直江へ戻る山岡が
跡を慕うて、かの大蛇
雲に紛れて飛んで行く
其の時、山岡権藤太
直江、間近くなりけるが
後(あと)振り返り、見るよりも
宇和竹大蛇と、夢知らず
「こは、叶わなじ」と
言うままに
板子の下へ潜り込んで
よく(除く)げ(気)は、微塵もあらざりし
例え、大蛇に飲まれても
この十二貫は、放さぬと
しっかと押さえ、
「桑原、桑原、万歳楽」
と、言うままに
がんな、がんな、がんな、震えて
宇和竹大蛇は、大音に
「おのれ、にっくき山岡め
大切なりし、ご主人を
よくも謀り、売ったりし
思い知らせん山岡」と
聞くより山岡、驚いて
板子の下より、首を出し
「これこれ、申し、宇和竹様
大蛇様
売ったが、お腹が立つならば
まだ十二貫は、ここにある
取り返して、しんじょうから
命は助けて下され」と

がながな、震えて居たりしが
何かは以てたまるべき
山岡、乗ったるその船を
きりり、きりりと、巻き壊し
中なる山岡、掴み出し
宙にも引き立て、宇和竹が
ずんだずんだに引き裂いて
海の水屑となしにけるは
小機微(こきび)良くこそ見えにける
元の起こりは、直江にて
宿貸さざる、恨みとて
直江千軒、荒れ渡る
誠に、昼夜の分かち無し
千軒の者共内より
名誉の博士をもって、占わせ、見るに
入水なしたる局、宇和竹が怨霊と
易(えき)の表に現わるる
せめて、祟りを鎮めんと
早々(そうそう)、浜辺に祠(ほこら)建て
宇和竹大明神と、ひとつ社の神に勧請す
昔が今に至るまで
北陸道(ほくろくどう)は、北の果て
越後の国、直江千軒の鎮守
宇和竹大明神、これなりし
人は一代、末世に残るは、宇和竹社(やしろ)なり

それは、扨置き、ここに又
ものの哀れは、ご兄弟
彼の宮崎が買い取りて
遙々、丹後へ
急がるる
程無く、丹後になりぬれば

 

ほう ぎ【法義】
仏法の教義。教え。

いらら・ぐ【▽苛らぐ】
《「いららく」とも》
1 角張る。突っ張る。
いららが・す【▽苛らがす】

角張らせる。高く突き出させる。目立つようにする


説経浄瑠璃 三荘太夫 八 名号の段

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

八 名号(なづけ)の段 

説経浄瑠璃

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

枡太夫・谷太夫・菊太夫・君太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

なつけの段  

 

去る程に、これは又
丹後の国、由良湊に、隠れ無き
木津、浦富、由良、三ヶの荘を象り(かたどり)て
三荘太夫広宗(ひろむね)とて
千軒一の長者あり
三荘太夫、如何なる恵(めぐみ)に候や
五人の子供、皆、男の子(おのこ)
総領、太郎広義(ひろよし)
二男(になん)二郎(じろう)広次(ひろつぐ)
三男三郎広玄(ひろはる)
四郎広国(ひろくに)、五郎広時(ひろとき)
いずれも劣らぬ兄弟の
中にも、三男三郎は、
父に、勝りて、強悪(ごうあく)不敵のものなれば

由良千軒の人々が
憎まぬものこそなかりけり

御労し(いたわし)の御兄弟
かかる、太夫に、買い取られ
諸事の哀れを留めけり

三郎、兄弟を父の御前(みまえ)へ、召し連れる
太夫、兄弟を、つくづく、うち守り
「御事(おこと)ら兄弟は
見目、美しき生い立ち、 名を何と、申す
語れ、聞かん」
と、ありければ
姫君、それと聞くよりも
『ここにて、安寿、厨子王と
名乗らば、父の名の恥辱
如何はせん』と思いしが
両手を突き
「申し上げます、お主様
そも、我々と申するは
これより遥か奥の者
山家育ちの習いにて
姉は、弟を、おととと呼ぶ
弟は、姉を、あねと呼び
定まる名とては候らわず
哀れ、お主のお情けで
良き名をお付け下さるべし」
太夫、聞いて
「これ、愚かなりける
兄弟の奴等
凡そ、この土へ生を得て
空をさ渡る鳥類
又、地を走る四つ足
むし、こうこうに至るまで(※虫、こうこう?)
 名の無きもののあるべきや
去りながら、山家育ち
姉はあね、弟はおととあるならば
我が家の家風、国を名乗れ
国名をかたどりて、良き名を付けて得させん
国は、何処(いづく)
早や、疾く、語れ」と
ありければ
御労しの厨子王丸
「国も忘れて候」
と、言わんとせしが、姉の姫
「やれ、待て暫し、弟(おとおと)よ
国を忘れて候えど
里は、信夫が里と覚えたり
お主様」
と申しける、 太夫聞いて、
「何、国は、忘れて候えど
里は、信夫とや
直ぐに、信夫を、姉が名に付けてくれん、
又、童(わっぱ)めは
おのれが国を、忘れし故
信夫に連れ添う忘れ草
信夫と呼んだら、姉が事
忘れ草と呼んだら、童、
おどれが事
兄弟の奴等
明日より、姉は浜に行き
三荷の潮汲む役
童は、山に出でて、柴木を
三荷、樵る(こる)が役
きっと、申し渡したぞ
三郎、 兄弟に、下職の道具、渡せよ」と
言い捨てて、奥に一間に入りにける
はっと、答えて三郎は
そのまま、そこを立ち上がり
大天井へ、からからと、駆け上がり
持ち来る道具は、何々ぞ
荷縄にとと鎌(?とかま)
朸(おうご)に荷(にない)を持ち来たり

 どっかと下ろし
「これ、荷(にない)に朸(おうご)
こりゃこれ、 信夫、そちが、浜にて 潮汲む道具
荷縄にとと鎌
こりゃ、童、 おどれが山で、柴苅る道具
只今、父上の申し付け
兄弟にて、山浜の六荷の役
もしも、一荷にても、足らざれば
うぬらが食らう、粟(あわ)の飯
食(じき)止めするぞ、兄弟」
と、はった、怒って三郎は
一間を指してぞ、入りにける
後に残りて残りて、御兄弟
互いに、顔を見合わせせて
先立つものは、涙なり
「これこれ、いかに、弟よ
そも、我々も
世にあれば、かかる憂き目は、 みまいもの
斯く、世に落ちて、浅ましや
太夫、如きの手に渡り
慣れも慣れざる、下職業(わざ)
ついに、見もせぬ、この道具
荷(にない)は、どうして、担ぐやら
潮は、どうして汲むものか
其方(そなた)とても、さの如く
柴木は、どうして、刈るものか
鎌は、どう手に持つものか
どうして、下職が勤まろう」
「のう、姉上様」
「弟」
 と、
泣くより外の事ぞ無き
姉は、涙の顔を上げ、
「はあ、いつまで歎いていたとても、尽きせぬ事
それ、世の中の例えにも
人に、人鬼、あらざれば

  明日にもならば
わしも、浜路に行き
潮汲む、女中に近づき
潮の汲み様、教わらん
そなたも、山路に登り
山樵(やまがつ)に、よなれ(世慣れ)

 柴の刈り様、教わりて
下職を互いに致して見ん
何はともあれ
今宵を、明かさん、厨子王丸」
「姉上様」
と、打ち連れて
柴木部屋へ、急がれる

 

京都府京丹後市網野町木津

鳥取県岩美郡岩美町大字浦富

三十五段目太夫親子呼揚段では、四郎と五郎の名前が入れ替わっている

 

ごう‐あく〔ガウ‐〕【強悪】
[名・形動]性質や行いが非常に悪いこと。また、そのさま。

おうご〔あふご〕【×朸】

《「おうこ」とも》物を担う棒。てんびん棒。        

 

  1. 《「とかま」とも》よく切れる鎌。切れ味のよい鎌。

と‐がま【▽利鎌】 
 《「とかま」とも》よく切れる鎌。切れ味のよい鎌。

ひとおに【人鬼】とは。意味や解説、類語。鬼のように無慈悲で残忍な人。


説経浄瑠璃 三荘太夫 九 別離辻の段

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

九 別離辻(わかれがつじ)の段 
説経浄瑠璃

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

わかれがつじの段 

 

去る程に、御兄弟
泣く泣く、その夜を明かされる
東雲烏と諸共に
互いに、御目、覚まされて
朝の粗飯を食なして
「さあらば、下職に、出でばや」と
姉は、荷(にない)を肩に掛け
おと(弟)も道具を肩に掛け
兄弟、打ち連れ、それよりも
太夫が元を立ち出でて
山路と浜路に急がれる
道は、露やら涙やら
袂の乾く暇も無く
急ぐ道野辺、今は早や
これも、太夫の構(かまい)なる
三の関屋を越えぬれば
山路と浜路の別れが辻になりにける
何思いけん、姉の姫
荷をそこへ、下ろされて
涙に暮れていたりける
厨子王丸は、そばにより
「申し、姉上様
何を歎かせ給うぞや
頼りに思う姉上様
そのように、歎かせ給い
私は誰を(たれを)頼りに、致すべき
姉上様」
安寿は、涙の顔を上げ
「これ、弟若(おとわか)
姉が歎くは、別ならぬ
向こうに立てし道標し(みちしるし)
右は、浜道、左は山路
山浜の別れが辻
思い回せば、兄弟が
故郷を出でて、今日までも
片時、離れぬ、兄弟
主命(しゅうめい)なれば是非もなや
ここで別れて、山と浜
そなた、山路に登るなら
木の根や石に躓いて(つまづいて)
必ず怪我ば、ししゃんなよ
登る山路の途次(みちすがら)
所々の木の枝に
心憶えを致しつつ
それを、頼りに、下るべし
獣道(ししみち)なんぞに迷うまい
尚、山深く分け入れば
松の梢(こずえ)に当たる風
里の鐘とて、聞こえまい
留まり烏がさ渡(わ)立(だ)たば
里の七つと心得て
柴木は三荷に足らぬども
山樵(やまがつ)達を諸共に
其方も、太夫へ戻るべし
これが別れか、厨子王丸」
涙に暮れておわします
厨子王丸は、
「はあ、はあ、申し、姉上様
あなたとても、左の如く
あの大海で、潮を汲ませ給うなら
磯打つ浪のその音で、
里の鐘とて聞こえまい
伝え聞く、沖にて千鳥が群立たば
由良の七つと思し召し
大夫(だいぶ)の元へお帰りあれ
これが、別れにましますか、姉上様」
「厨子王丸」
さらば、さらばと、立ち別れ、又、立ち戻り
別れが辛いか、悲しやと
涙に暮れて、御兄弟、ていくはかつらかしらねども(?)

(※ご兄弟で、いくはか(いかが:如何)つらか(辛か)知らねども)

離れ難たなき御風情
姉は、涙の顔を上げ
「はああ、これはしたり
別れというて、永き、別れにもあらぬ
互いに、下職、終い(しまい)なば
又も、太夫へ戻れば
ひとつに暮らす兄弟
わしも、浜路へ行く程に
其方も、山路へ登るべし
さらば、さらば」
と、言い捨てて
心強くも姉の姫、浜路を指してぞ、急がれる
後に残りし、厨子王丸
是非もなくなく(無く、泣く)
只一人、心細くも、山路を指してぞ、登られる


祭文 三荘太夫 十 柴勧進 上

三荘太夫 十 上
安寿・対王

柴勧進の段 

祭文

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

山賎しばくはんじんの段  

 

去る程に、これはまた
御労しや、厨子王丸
姉に別れて只ひとり
山路を指して、登られる
姿を物に例えなば
二羽と連れたる鴛鴦(おしどり)の
妻に離れし心地にて
登る山路の途次(すがら)
七つ曲がりて、八峠(※)の
千本松山、早や、越えて
嘶く(いななく)駒の沓掛や
これも、山路に隠れ無き
由良千軒の山樵の
休み所と、定めたる
休みヶ柴(?)に着き給う
休みヶ柴の此方には
潮見の台と名付けたる
小高き所、候いし
下は、名に負う、丹後の国、
ようだヶ浜(?)の荒磯なり
磯打つ波の其の音に
思わずも、駆け上がり
遥かに下を見下ろして
はあっと、驚き
「あら、恐ろしの大海よ
今、打つ波が男波かや
又打つ波が、女波かや
姉上様には、情けなや
習わぬ下職の事なれば
男波女波も弁えず
潮を汲ませ給うなら
あの打つ波に、引かされて
もしや、御身に怪我無きや
磯打つ波の浜風で
さぞや、御身もお寒むかろう
冷たかろう」
と、若君は
我が身の事は、思わいで
只、姉上の事ばかり
思い過ごして、労しや
そのまま、そこにどうど伏し
只、さめざめと嘆かれる
如何はしけん、厨子王丸
習わぬ、山路の疲れにや
心の疲れが重なりて
伏し転びたる、そのままに
柴を褥(しとね)の床となし
荷縄を枕になし給い
つい、とろとろと寝入らるる
さても其の時、山路より
由良千軒の山樵は、
てんでに柴木を背負われて
深山(みやま)よりは、由良の港へ、戻り掛け
いつも休みの休みヶ柴
皆々、柴木を下ろされて
腰、打ち掛け
火打ち、出だして、打ち付けて
煙草飲みつけ、四方山話になりけるが
中にも、一人、老人たる山樵
「これ、皆の衆
あれに、寝ている、あの童(わっぱ)は
ありゃ、この間、
山椒大夫が元にて買い取ったる
兄弟の弟(おと)の童
山路で、三荷、柴刈る役と聞く
その役の柴も刈らず
あのように寝ていて
あのまま、太夫へ戻ってみやれ
邪見の太夫三郎が
鞭(ぶち)、打擲(ちょうちゃく)は治定なり
未だに、か弱き、あの童
打ち所が悪けりゃ、一命の程も知れぬ
それ、この間、渡りヶ里(和江)、
江(ごう)の村、国分寺にて

げんかい(玄海?)和尚の説法に

『人間、一人、助ければ
菩薩の行(ぎょう)に入るとある
なんと、煙草の暇に
柴木を

 

(刈って、勧進致そうじゃあるまいか)」

八峠:初出

七曲り八峠
 由良の戸から国鉄宮津線のガードの下を通って登っていくと栗田へ通じる旧道がある。巾一・五メートルほどの道に石だたみがしいてあるが、峠を登るにつれて起伏がはげしくなり、道巾も一メートル足らずになる。これが昔の北国街道である。
 美しい由良の港を後に、道は山の中を曲りくねり、いくつもの峠を越して栗田へ出て、宮津の山中へと通じる。これを七曲り八峠(ななまがりやとうげ)という。

 

後述用例 21段 八峠 22段 やたい峠 23段 はちだい峠 36段 やよい峠 

 

 

ようだ浜:不明・・・・くんだ浜:栗田浜ヵ?(宮津市)

和江は舞鶴市の北西部。由良川下流左岸に位置する。由良川が北流しその西岸を並行して国道178号線が走り、北は宮津市に接する。和江谷川が南東流し由良川に合流する、その付近に集落が立地する。
 丹後富士とも称される由良ケ獄の南東麓に位置し、宮津への重要な往還筋にあたった。対岸の中山との間には渡しがあった。地名は渡船場としての安全な「などし江」「なごえ」に由来するともいう。地内には、山淑太夫のもとから逃亡した厨子王がかくまわれたという国分寺の廃寺跡がある伝説の地でもある。

 

※国分寺の和尚の名前は、33段下に「えんかい」とも記述


祭文 三荘太夫 十 柴勧進 下

三荘太夫 十 下
安寿・対王

柴勧進 

祭文

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

(なんと、煙草の暇に柴木を)

刈って、勧進致そうじゃあるまいか」
「成る程、さまでの功徳の候らわば
俺も、勧進致そう」と
鎌、研ぎ合わせ、我も我もと立ち上がり
彼方(あなた)の沢や、此方(こなた)の峰へ
分け入り、分け入り、分け上り
刈る程に、樵る(こる)程に
数多(あまた)の人のことなれば
微塵(みじん)つもって山とやら
なんなく三荷に切りそろえ
藤で、ちょっくらちょっと、束ねられ
童(わっぱ)のそばに積み重ね
「童、起きよ」
と、揺り起こす
揺り起こされて、若君は
はっと驚き、目を醒まし
見れば、数多の山樵なり
「こは、そも如何に、私(わたくし)が、
これにて、寝ている、不調法、御免なされ」

と、もうすれば
「はあ、いや、何も謝る事は無い
我々は、今、由良の港へ、戻り掛け
毎日休むこの所
一服飲んで、行かんと休みしが、
見れば其方は、三荷の柴刈る役と聞く
その役目の柴も刈らず
このままにて、太夫へ戻ってみやれ
邪見の太夫、三郎が
鞭(ぶち)打擲は、治定
我々が物の情けを弁えて
それその柴三荷、其方へ勧進致す
早や疾く、大夫(だいぶ)が元へ運ばれよ
若君、それと聞くよりも
「すりゃ、この柴、三荷
わたくしに下さるとや
ちぇえ、ありがとうござります
去りながら
せっかく、柴木、下さるとも
未だ、下職に慣れぬ、私
大夫(だいぶ)へ運ぶ、力無し
とてもの事に、この柴
太夫の元へ、送り届けて、下さるべし」
山樵、聞いて
「この童は、負ぶうと言えば、抱かろうと言う
柴木を貰うても、運ぶ力が無い、成る程もっとも
こうして置けば
仏、一体作り、開眼せざれば
魂、入れぬの通り
なんと、皆の衆、とてもの事の情け
この柴、せめて、太夫の三の関屋まで
運ぼうじゃあるまいか」
「ああ、成る程
おららも、端荷(はしに)に付けましょう」
「我等も、端荷に付けよう」
と、てんでに、端荷につけられて
連尺取って、
「まっかしょ、これはな」と(?)

背なに負い
「さあ、童、来たれ」
と言うままに
休みヶ峠、立ち上がり
由良の港へ急がれる
重荷に小(こ)付けという事は
この時よりかと、憶えたり

かつて、憶えし、山樵は
彼方(あなた)近道、抜け道を
辿り、辿りと急がれて
由良の港へ、下らるる

 

連尺
① 籠(かご)・箱・荷などを背負うときに,肩にあたる部分を幅広く編んでつくった荷縄。また,それをつけた背負子(しよいこ)。 ②両肩から脇にかけてひもをかけて背負うこと。

重荷(おもに)に小付(こづ)け

大きな負担がある上に、さらに負担の加わること


祭文 三荘太夫 十一 柴加増の段 上

三荘太夫 十一 
安寿・対王

柴勧進の段 

祭文  上

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

しばかぞうの段  

 

去る程に、厨子王丸
山樵達と、諸共に
由良の港へ、下らるる
急げば、程無く、今は早や
斯くて、太夫の構えなる
三の関屋になりければ
山樵、端荷(はしに)を降ろし
元の三荷に荷造りて
「これ、童、この柴を
三荘太夫の三の関屋まで運ぶは
何より、易けれど
それでは、其方の(そなた)為にならぬ
それ故、こうしておく程に
これから、一度にならずば二度
二度にならずば三度になと
力に任せて、運ばれよ
明日も又、今日の峠に待っていよ
下職に慣れるそれまでは
我々が、毎日、毎日
そなたに三荷の柴勧進致す
つい、其の内に習おうより
慣れろは、げすの役
明日、峠で、会いましょう
童、さらば」
と、言い捨てて、皆、打ち連れて、
我が家、我が家に急がれる
後に残りし、厨子王丸
山樵の後ろ姿に、手を合わせ
「ちぇえ、有り難い
縁も所縁(ゆかり)も無き我に
毎日毎日、三荷づつ
下職に慣れるそれまでは
柴木、勧進、下さるとや
忘れは置かぬ、山樵方
いつの世にかは、このご恩、送らんもの」
と、言うままに
「さあらば、柴木、運ばん」と
その柴に手を掛けて
持たんとすれど、情けなや
柴木は、重し、身は軽し
一把(わ)の柴さえ持てずして
柴木に縋って若君は
泣くより外の事ぞなし

その時、三郎は
兄弟、山浜へ、下職に出し
戻りの遅きは、如何ぞと
我が家を出でて、
三の関屋へ、急ぎ来る
斯くて、関屋になりければ
泣き入る童が、そば近く
襟首つかんで
「これ、童(わっぱ)、

おのれら兄弟の戻りの遅き故
出向かって、様子、見れば
柴木は、三荷に、刈り揃い
その柴に縋って吠え面
子細あらん
父の前へ、連れて行かん
さあ、来い、童」
と、言うままに
弓手の小脇に掻い込んで
馬手にて、柴木、引っ提げて
三の関屋の方よりも
父の御前(みまい)へ連れて行く
斯くて、我が家になりぬれば
先ず、広庭へ、柴木と供に、降ろされて
「父上様、父上様」
と、呼ぶ声に、三庄太夫

 

 


祭文 三荘太夫 十一 柴加増の段 下

三荘太夫 十一 
安寿・対王

柴勧進の段 

祭文  下

薩摩若太夫
栄喜太夫・伊勢太夫

三弦
京屋粂吉・門蔵

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

(「父上様、父上様」
と、呼ぶ声に、三荘太夫)

 

身は、八反の大褞袍(どてら)
紙子のひうち(燧)の伊達羽織

焙烙頭巾(ほうろくずきん)、被(かむ)られて

只、しずしずと、立ち出でて
「何事、なるぞ」
「はああ、申し、父上様
買い取ったる兄弟の奴等
山路と浜より、あまり戻りが遅き故
私(わたくし)が、出向かって候ところ
三の関屋に童めが
柴木は、三荷に切り揃え
柴木に縋って、吠え面
子細あらんと、連れ参り候
父上様、この童
今朝までも、
柴木は、どうして刈るものか
鎌はどう手に持つものと
メソメソ、ぼ泣きしとは、
大きな相違
童が、刈ったる柴をご覧候え
父上様」
と、差し出だす
三荘太夫、柴木を手に取り
ためつ、すがめつ、打ち守り
「ああ、成る程
三郎が、申す通り
鎌の切れ口、荷造り様
あっぱれ、柴刈の名人
このような、柴刈は、
丹後、但馬にゃ、ありゃせまい」
と、褒めれば、三郎
「なんと、父上様
褒めたばかりじゃ済みますまい
童子(わっぱし)に
とき(斎)の褒美がありそうなもの」
「成る程、褒美が無くては叶うまい
このような柴刈に
二荷(にか)三荷(さんが)は、無益
明日より、褒美として
七荷の加増、申しつける
十荷ずつ刈れ
もしも、十荷の柴
一荷にても、足らざれば
うぬらが、食らう粟の飯
食(じき)止めするぞ、童子(わっぱし)」と
はったと怒って、広宗(ひろむね)は
奥の一間に入りにける
後に残りて三郎は
「これ、童
この三郎、幼少より
親孝心に仕えても
遂に一度、褒美、貰った事はねえ
それに、おのれは
昨日か今日来て、父上に
褒美、貰うという事は
いやはや、冥加に叶った童子(わっぱし)」と
言い捨て、次にぞ、入りにける
後を、見送りて、若君は
「思えば、邪見のお主様
三荷の柴さえ、ようようと
人の情けで、貰った柴
七荷の加増、言いつかる
十荷の柴が、どう山樵に、貰わりょう
思えば思えば、悲しや」と
暫く歎いていたりしが
何はともあれ、浜路へ急ぎ
姉上様のお目に掛かり
この事、お話申さん」と
泣く泣く、そこを立ち上がり
浜路を指して、急がれる

 

たん【反】

布地の長さの単位。絹布では、鯨尺(くじらじゃく)で長さ2丈8尺~3丈、幅9寸5分~1尺のものを1反とした。和服地1反は成人の着物1着分にあたる。

 

かみこ【紙子・紙衣】
紙で仕立てた衣服。厚手の和紙に柿渋(かきしぶ)を塗って乾かし,もみ柔らげたもので仕立てる。もとは僧が用いたが,のちに一般の人々も防寒用に着た。かみぎぬ。

 

【だてばおり】羽織の一種。江戸時代から歌舞伎や浄瑠璃(じょうるり)などで用いられた、人目につくような派手な文様、色の羽織

 

(火打ち)
  夜着などの袖下と脇の角に、ゆとりを出すためにつける三角形の襠(まち)

          

 

  1. 焙烙の形をした丸い頭巾。僧や老人が多く用いた。大黒頭巾。丸頭巾。ほうらくずきん。

ほうろく‐ずきん〔ハウロクヅキン〕【×焙×烙頭巾】 
 焙烙の形をした丸い頭巾。僧や老人が多く用いた。大黒頭巾。丸頭巾。ほうらくずきん。